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大阪高等裁判所 昭和31年(ネ)1524号 判決

控訴人 小谷末次郎

被控訴人 西山ナヲ 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。昭和二四年五月八日訴外亡小谷松之助がなした原判決末尾添付の目録記載の特別方式による遺言の無効なることを確認する。被控訴人西山は右判決末尾添付の目録記載の不動産につき京都地方法務局昭和二五年二月二四日受付第二三五二号を以て自己名義になした所有権移転登記の抹消手続をなさねばならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の提出、援用、認否は控訴代理人において甲第四号証を提出し、当審証人岡本いし、同小谷やす(第一、二回)、同小谷ユキ、同小谷うた、同大谷幸一郎の各証言を援用し、検乙第一号証の一乃至三は小谷松之助の墓の写真であることは認めるが同号証の四は不知と述べ、被控訴代理人において検乙第一号証の一乃至四を提出し、当審証人橋本はるの証言、当審における被控訴人西山、渡辺各本人尋問の結果を援用し、甲第四号証の成立を認めると述べた外原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

控訴人が、訴外亡小谷松之助の四男であること、右松之助が昭和二四年五月八日被控訴人渡辺、訴外(原審共同被告)谷口良吉、同大谷幸一郎の三名を証人として立会わせ原判決末尾添付の目録記載の如き特別方式による遺言をなしたこと、同月一二日附を以て被控訴人西山から京都家庭裁判所に対し右遺言確認の申請をなし、同月二六日附で同裁判所の確認を得たこと、被控訴人西山が昭和二五年二月二四日右遺贈を原因として原判決末尾添附の目録記載の不動産につき自己名義に所有権移転登記手続をしたことは当事者間の争がない。

ところで、控訴人は右遺言当時松之助は死亡の危急に迫つた状態ではなかつたから右遺言は特別方式による遺言の要件を欠き無効であると主張するのでまずこの点について考えるのに、なるほど、成立に争のない乙第二号証、原審における被控訴人西山本人の供述(第一回)により真正に成立したものと認められる同第四号証と原審証人岡本政一、同加藤静応、同百瀬洽平の各証言を綜合すると、右松之助の昭和二四年五月八日当時の病状は顔面貧血羸痩し、熱は三六度四分、脈搏六八、呼吸速進し、肝臓が二横指位腫れ、腹まわり八二で腹部に水が非常に多くたまり、足背にはフシが相当あり胃潰瘍か胃癌の症状を呈し、相当な重態で絶対安静を要する状態にあつたが、一、両日中に死亡するかもしれぬといつた所謂危篤の状態にはなかつたことが認められ、客観的には死亡の危急に迫つた状態ではなかつたことが明らかである。しかしながら、わが国においては予め遺言をしておく風習は未だ普く行われず、概ね死亡に頻して遺言をするのが常であるが、かかる場合遺言者が自ら死亡の急迫な危険を感じ特別方式による遺言をしようとしても、それが客観的に符合しないときは遺言の効力を生じないものとするときは、遺言者が右危険を自覚し特別方式による遺言をしようとする場合にはそれが客観的に合致するものであるかどうかを一々穿索しなければならず、遺言の作成を躊躇せしめることになり、人の最終意思を尊重せんとする遺言制度殊に特別方式による遺言の趣旨の大半は没却せられるに至るであろうし、他面遺言者の自覚のみによつて特別方式による遺言をなしうるものとしても、特別方式による遺言は遺言者が普通の方式により遺言をすることができるようになつた時から六箇月間生存するときはその効力を矢うものであるから、さしたる不都合を招来するわけでもない。従つて、特別方式による遺言をなすには遺言者が何等の事由もないのに単にその生命の危険を空想し、又は漠然と予想するだけでは足りないが、必らずしも客観的に死亡の危急に切迫していることを必要とせず、疾病その他相当な事由がある場合遺言者自から自己の死亡の危急に迫つているものと自覚してなされることを以て足りるものと解するを相当とする。しかして、成立に争のない甲第一号証の一、原審における被控訴人渡辺本人の供述(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第一号証、前記同第二、第四号証と原審証人岡本政一、同加藤静応、同百瀬洽平、同(第一、三回)谷口よし子の各証言、原審における被控訴人西山本人(第一、二回)原審共同被告谷口良吉本人、同大谷幸一郎本人(第一回)の各本人尋問の結果、原審(第一、二回)並びに当審における被控訴人渡辺本人尋問の結果を綜合すると、松之助は昭和二三年九月八日吐血し意識不明の状態になつたので、岡本医師の診断を受けたところ胃潰瘍とのことで同年一〇月八日まで治療を受けたが、その後除々に回復に向つていたところ、その後再発し、昭和二四年三月三〇日には腹痛を訴え、吐血し、心臓が衰弱し非常な重態に陥り、岡本医師からも今度は引受けられないと宣告されたのであるが、松之助自身も当時七五才の高令であるため、漸く自己に死期の切迫したのを悟り、後妻である被控訴人西山の老後を考え、予て懇意の被控訴人渡辺を招き、今夜にもどうなるか分らないから遺言書を書いてくれと懇願したので、同日午後九時四〇分頃被控訴人渡辺は訴外(原審共同被告)谷口良吉、同大谷幸一郎を証人として立会わせた上、本件遺言書とほぼ同一内容の特別方式による遺言書を作成してやつたが、右遺言書は特別方式の遺言として不備であつたため、裁判所の確認をえられなかつたところ、その後松之助は稍々小康を保つたので、そのまま打過ぎていたこと、ところが、同年五月八日病状が再び悪化し、前記の如き症状を呈し、重篤で余命もせいぜい一箇月、長くても六箇月も持ちこたえることができない状態であつて、素人目にも前記三月三〇日当時よりも悪化していることが一目瞭然とし、遺言書作成に立会つた訴外谷口良吉もその病勢の悪化を心配し、百瀬医師にわざわざ往診を乞うに至つた程で、松之助自身も度重る病状の悪化に今度こそ死期が目前に迫つたものと思い、同夜見舞に来た被控訴人渡辺に対し同夜中にも命が危いのではないかと思われるほど苦しい苦しいと訴え、この前作成した遺言書をもう一度作つてくれと哀願したので、被控訴人渡辺は同日午後九時頃前同様谷口良吉及び大谷幸一郎を証人として立会わせ、松之助の枕頭において本件遺言書を作成してやつたことが認められ、松之助が本件遺言をするに至つたのは単なる死の危険に対する空想乃至漠然たる予想によるものではなく、同人が前示のような病状のもとに死亡の危急が迫つたものと自覚してなされたものであることが明らかである。右認定に反する原審証人小谷やす、同小谷ユキ、同戸津とよ、原審における共同被告大谷幸一郎本人の供述は前顕各証拠に照し措信し難い。もつとも、前記乙第四号証によると、松之助が死亡したのは昭和二四年六月二七日であることが認められ、又原審における被控訴人西山本人の供述(第三回)によると、同月一〇日頃から松之助の子供達が同人の見舞にくるようになつたことが認められるが、これ等の事実も未だ松之助が右遺言当時死亡の危急に迫つていたことを自覚していた旨の右認定を左右することはできず、他に右認定を覆すに足る的確な証拠もない。

してみると、本件遺言は民法第九七六条所定の特別方式による遺言の要件を具備しているものというべく、有効に成立したものといわねばならない。従つて、本件遺言書を各特別方式による遺言の要件を具備しない無効のものであるとする控訴人の主張は失当として排斥を免れない。

そこで、控訴人の予備的主張について考えるのに、控訴人は松之助は本件遺言後である昭和二四年六月中旬頃小谷ユキに対し右遺言書に記載してある木造瓦葺平家建建坪二三坪二合三勺を同女及びその子供に、小谷うたに対し右同様の木造藁葺平家建本家建坪二四坪を同女に贈与する旨の意思表示をしたので、本件遺言は右遺言後の生前処分と牴触する限度において取消された旨主張し、原審(第三、四回)並びに当審(第一、二回)証人小谷やす、原審(第二回)並びに当審証人小谷ユキ、原審並びに当審証人小谷うた、当審証人岡本いし、原審における共同被告大谷幸一郎本人、当審証人大谷幸一郎はいずれも右主張に副う供述をするけれども、これ等の供述はいずれも後記各証拠に照し措信し難く、他に右主張を認めるに足る確証はない。却つて、成立に争のない甲第四号証と原審証人谷口よし子(第三回)当審証人橋本はるの各証言、原審(第二、三回)並びに当審における被控訴人西山本人、原審(第二回)並びに当審における被控訴人渡辺本人の各本人尋問の結果を綜合すると、被控訴人渡辺が松之助の葬式の夜小谷ユキ、小谷うた、小谷やす等親族の面前で本件遺言書を朗読した際にも、右遺言と牴触する生前処分があつたとして右遺言に異議を述べた者は一人もなく、ただわずかに小谷やすが右遺言は第一回の遺言の内容と異つた点があるとして異議を述べたにすぎないこと、その翌日控訴人が被控訴人渡辺に前記藁葺の家屋を亡小谷孝太郎の長男修一にやつてもらいたい旨申出で、更にその後小谷うたが、被控訴人渡辺に右家屋に入れてもらいたい旨申出でたが、その際にも右家屋につき生前処分がなされていることについては何の話もなかつたことが認められ、控訴人主張の如き生前処分のなされていないことが推認せられるから、控訴人の右主張も亦採用することができない。

そうすると、本件遺言はすべて有効であると共に、これによる遺贈を原因として受遺者たる被控訴人西山がなした前記所有権移転登記も亦有効であること勿論であるから、控訴人の本訴請求はすべて失当といわねばならない。

よつて、これと同趣旨に出でた原判決は正当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 竹内貞次 大野千里)

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